会場風景
存在の鳥について
「存在の鳥」とは、あらゆる存在の飛翔についての絵画である。存在は飛翔しなければならず、飛翔し得るもののみが存在である。
山嶺の岩石すら数万年の年月を経て亀裂を起し、山稜から転げ落ちるではないか。転落とは、重力に従う飛翔である。山岳において、鳥は下方へと飛翔する。
飛翔は、転変である。社会そのものが、下方に向うにせよ、上方へ向うにせよ、そして、そこに住まうありとあらゆる存在が、下方に向うにせよ、上方へ向うにせよ、全てが飛翔であることに変りはない。消滅する命であると言えども、それもひとつの飛翔である、と捉えなければ浮ぶ瀬もないではないか。
「存在を否定するまでも無き悲しみ」こそが、当初のタイトルであった。それを私は、「存在の鳥」と呼び直してみたいのだ。
2005年5月11日 中村一美